Can't Take My Eyes Off You

人を愛することの意味をほら見つけられるの?

メンタルの話

 メンタルが死んでいる。
 なんで死んでいるのかとか、理由はなんとなくだけど理解はしている。ただ、理解すれば解決する問題なのかといえばそういうわけではないので、ただただ鬱が治まるか、鬱の根源が解消するまでなんとかやり過ごすしかない。

 生まれてからこの方、鬱の状態に見舞われたことは多々ある。
 その度にああ、死にたいな、なんで生きているんだろう、生きていても意味が無いんじゃないか、と体調が悪いはずでもないのに視界が歪むし呼吸が苦しくなる。胸の辺りが重たくなるし、マスクを付けていないのにずっとマスクを付け続けたような息苦しさを感じるのだ。

 死にたい、と書いたが、実際死にたいわけではない。死ぬことは怖い。死ぬことに対する痛みや恐怖と死にたいという漠然とした感情を比較すれば、確実に怖い方に天秤は傾く。
 鬱になった時、大抵の場合、とにかく社会生活を営んで人間として生きていくこと自体にとてつもなく嫌気がさして生きることそのものをやめたい、と感じる。生きることをやめれば、今直面している全ての事象――それは鬱の症状そのものも含んでいる――が解決できる。根本的な解決に至っているかはさておいて。
 生きることをやめることと死にたいはニアイコールであって、イコールではない。



 何回も鬱になったことはあるが、もちろん鬱じゃない時期だってある。躁って意味ではなく単純に心が健康で、面倒だなとかしんどいなと思うことはあれど楽しいことがあったらとても楽しいし、多少つらくても物理的な息苦しさを感じることはない。
 実際、少なくとも一週間くらい前までは私も鬱のうの字の気配すらなかった。いや、種はあったかもしれない、ただ鬱に至るまでではなかった。

 鬱じゃない時期の何が怖いかというと、鬱状態の時期の記憶をさっぱりと失ってしまうことだ。
 それは脳の防衛機制なのかもしれない、だからのうのうと鬱じゃない期間を生きていられるのだろう。今の私にとっては心底羨ましい話だ。

 先週の私は鬱になったときどんな風に息苦しくなるのか、心臓が重くなるのか、布団から家から一歩も出られなくなるのか、思考が渦巻いて自己嫌悪に陥ってさらに何も出来なくなってしまうのか、きっと何も思い出すことは出来なかった。
 こうやって鬱状態の時に書いた文章を読んでも大変だった気がするな……と表面的な理解しかできず、大元の部分で分かり合えることはない。結局、同じ「私」であるのに、他人事かのような感覚で終わってしまう。それはとても怖いことだ。

 もちろん鬱のことに関わらず、一時の感情はそのまま丸ごと保存し取り出せるわけではない。
 それができたら、鬱状態でも楽しいことを思い出せば一時的にでも鬱が軽減されるはずだ。それができたらどんなにいいことか。
 早くアナログな感情をデジタルに変換できるように技術は進歩して、楽しかったという感情そのものを取り出せるようになってほしい。



 とにかく、早く鬱が治まってほしい。
 それか次の現場が来てほしい。早く推しを見て、現場がなかったこの数ヶ月の埋め合わせをしたい。
 私信もすごく嬉しいけれど、結局のところ映像やSNSの自撮りとかでなく生で推しを見られることが一番嬉しいんだと思う。