Can't Take My Eyes Off You

人を愛することの意味をほら見つけられるの?

君のすべては私ではないけど、私のすべては君です

君になら、人生を捨ててもいいのかもしれないと思った。



私は、君の舞台上で輝く姿を目で捉えて離すことができない。
舞台上の君はいつだってきらきらと輝き、私の胸を掴み、私の呼吸を乱し、脳に強烈な刺激を与えてくらくらとさせる。
これでも私はまっとうな人生を歩んできたから薬なんて一度も試したこともないけれど、君は少なくとも私にとっての麻薬なのかもしれない、と思う。

私は私のできる限りを君に捧げた。舞台上の君にすっかり捕らわれてしまったからだ。
でも私は、人生を捨てるまでには至らなかったし、そこまで好きなのかもわからなかった。
人生を捨てるまでの好きって、なんなのだろう。



舞台上の君を好きになってからどれくらい経ったのだろうか。
初めて君とゆっくり話す機会があった。

今まで一瞬なら話す機会は何回もあったものの、こうして聞きたいこと、確認したいこと、伝えたいこと、ちゃんと話すことができるのは初めてだった。
私は言葉を詰まらせながらも、君に色々な言葉を伝えた。
君は、とても優しい言葉しか私に伝えなかった。
色んなことを覚えていてくれた。
私を個として認識していて、かつ大切にしてくれているのかもしれない、と感じた。

私はそれがすごいことなのか普通のことなのか分からなくなってしまって、友人とたくさん喋り、家に帰ってぼんやりとし、気付いたら眠りに落ちていた。



朝が来た。
昨日のことなんてなかったかのように、日常は来る。
いつものように学校に行き、バイトをする。
体は日常生活にすっかり溶け込んでいるのに、私の頭の中は昨日のままで、記憶と思考がぐるぐると渦巻いていた。

君は、これまでのそれなりの年月の中で私が頭の中で作り上げた君の偶像よりもよっぽど優しくて、真面目で、真摯だった。
私が私のできる限りを捧げたことはきちんと意味を為していたのかもしれない、と思った。

だからこそ、私はもっと君のためになりたいと思ったし、君の取り戻すことのできない一瞬をさらに見逃したくないと感じた。
人生を捨ててもいいのかもしれない、とすら思えた。



昨日話し込んでいた友人によると、君に人生を狂わされた人は少なくとも二人はいるそうだ。
その話を聞いて私は、君って人は罪な男だ、と素直に感心したものだ。人を狂わせるほどの強い魔力を、君は持っている。
あらかた話を聞き終えた後に、私は友人に「あの人のために人生は捨てたくない」と言った。
「あの人に人生を狂わされるのはなんだか悔しい」
すると、友人はあー、まあね、と曖昧な同意をした。

「でも、もし人生を捨ててもいいやってなったら私に言ってね。お手伝いするから」

私はその言葉に初めはいやいやまさか、という反応をした。
けれど、時間が経つにつれその言葉と君の優しさが混じって、毒が全身に回るように私を蝕んだ。

友人は、既に別の男に人生を狂わされている人間だった。



普通、時間が経てば経つほどに冷静さを取り戻すはずなのに、何故か段々と君の優しさが私を甘い苦しみに陥れる。
君のことを口に、文字に乗せれば乗せるほど苛まれていく。
まるで自己暗示のようだ、と思った。

私は君に人生を狂わされてしまうのか。
私は君に人生の全てを捧げてしまうのか。
私は君に人生を捨てさせられるのだろうか。



体は日常生活に溶け込みながらも頭は君のことでいっぱいだなんて、そんな日は毎日だった。
でも、人生さえ捨ててもいいのかもしれない、とまで考えたのは初めてだった。
この日常生活を捨てて君に全てを捧げて、これからの舞台上の君を一瞬足りとも見逃すことなく人生を終えたら、私は一生後悔しないのだろうか。

それは分からない、先のことなんていつだって分からないけど、少なくとも今は君のことを考えるだけでたまらなく好きで涙が止まらなくて、君に人生を捧げても、君に人生を狂わされても、君に人生を捨てさせられても構わないとすら思ってしまうのだ。

君の優しさに、私はおかしくなってしまったようだ。



 

 

メンタルの話

 メンタルが死んでいる。
 なんで死んでいるのかとか、理由はなんとなくだけど理解はしている。ただ、理解すれば解決する問題なのかといえばそういうわけではないので、ただただ鬱が治まるか、鬱の根源が解消するまでなんとかやり過ごすしかない。

 生まれてからこの方、鬱の状態に見舞われたことは多々ある。
 その度にああ、死にたいな、なんで生きているんだろう、生きていても意味が無いんじゃないか、と体調が悪いはずでもないのに視界が歪むし呼吸が苦しくなる。胸の辺りが重たくなるし、マスクを付けていないのにずっとマスクを付け続けたような息苦しさを感じるのだ。

 死にたい、と書いたが、実際死にたいわけではない。死ぬことは怖い。死ぬことに対する痛みや恐怖と死にたいという漠然とした感情を比較すれば、確実に怖い方に天秤は傾く。
 鬱になった時、大抵の場合、とにかく社会生活を営んで人間として生きていくこと自体にとてつもなく嫌気がさして生きることそのものをやめたい、と感じる。生きることをやめれば、今直面している全ての事象――それは鬱の症状そのものも含んでいる――が解決できる。根本的な解決に至っているかはさておいて。
 生きることをやめることと死にたいはニアイコールであって、イコールではない。



 何回も鬱になったことはあるが、もちろん鬱じゃない時期だってある。躁って意味ではなく単純に心が健康で、面倒だなとかしんどいなと思うことはあれど楽しいことがあったらとても楽しいし、多少つらくても物理的な息苦しさを感じることはない。
 実際、少なくとも一週間くらい前までは私も鬱のうの字の気配すらなかった。いや、種はあったかもしれない、ただ鬱に至るまでではなかった。

 鬱じゃない時期の何が怖いかというと、鬱状態の時期の記憶をさっぱりと失ってしまうことだ。
 それは脳の防衛機制なのかもしれない、だからのうのうと鬱じゃない期間を生きていられるのだろう。今の私にとっては心底羨ましい話だ。

 先週の私は鬱になったときどんな風に息苦しくなるのか、心臓が重くなるのか、布団から家から一歩も出られなくなるのか、思考が渦巻いて自己嫌悪に陥ってさらに何も出来なくなってしまうのか、きっと何も思い出すことは出来なかった。
 こうやって鬱状態の時に書いた文章を読んでも大変だった気がするな……と表面的な理解しかできず、大元の部分で分かり合えることはない。結局、同じ「私」であるのに、他人事かのような感覚で終わってしまう。それはとても怖いことだ。

 もちろん鬱のことに関わらず、一時の感情はそのまま丸ごと保存し取り出せるわけではない。
 それができたら、鬱状態でも楽しいことを思い出せば一時的にでも鬱が軽減されるはずだ。それができたらどんなにいいことか。
 早くアナログな感情をデジタルに変換できるように技術は進歩して、楽しかったという感情そのものを取り出せるようになってほしい。



 とにかく、早く鬱が治まってほしい。
 それか次の現場が来てほしい。早く推しを見て、現場がなかったこの数ヶ月の埋め合わせをしたい。
 私信もすごく嬉しいけれど、結局のところ映像やSNSの自撮りとかでなく生で推しを見られることが一番嬉しいんだと思う。

チケ盗難について

 先日話題になったチケット盗難についてぼちぼち。

 結論から言うと、普通に盗まれたのはかわいそうだし犯人見つけるのと残りのチケ集め頑張って欲しい……ってことと、あのツイートに対してまずマウントだのなんだの言ってる奴は心がめちゃくちゃ貧しい人間なんだろうな〜!?ってことです。
 いやね、本当に第一に思うことがマウントってだいぶ捻くれてるよ。愚痴垢に毒されすぎ。



 で、まずかわいそうだなって思ったことについて。

 何がかわいそうって愛知公演以降の全てのチケって書いてあったと思うんだけど、これ比嘉公演通ってる人ならすぐに分かると思うけどこの後あるのって愛知宮城凱旋で、愛知と宮城のチケってま〜〜〜〜〜出回ってないんですよ!チケ流とかにしろツイの譲渡にしろ。
 愛知公演なんて大阪公演辺りはまあ席を選ばなければ……あるかな……って感じだったのに、福岡公演の時見たら本当に求めるしかなくてビビったからね。当日引換券も瞬殺で、私は早めにチケット揃えてたから良かったけど周りはめちゃくちゃ困ってる人が多い。
 チケが入手困難っていうと刀とかが有名だけど、最早あれは転売が出回ってるだけマシ。転売すらない。

 そもそもチケット20枚とか持ってるって要するにだいぶ通ってるんだと思うから前方じゃないと……って人だと思うし*1、多少諦めはあるとはいえ今からそこそこの席に入るために集め直すのは大変だろうな〜って思う。当日引換券でもなんとかなる節はあるけど……。

 少なくとも私が今の手持ちのチケ全部盗まれたら発狂する。発狂するし犯人を血眼で探し出して加えられるだけの社会的制裁を加える。それだけ損害がでかいからだ。



 次に、この件について批判している人達について。
 この人達はテニス通ってすらいないなーーーんも事情も知らないような輩のくせに、目についたところ気に障ったところを批判するどうしようもない人達なんだなあと私は思いました!

 まあ、ハイブラのバッグについては私も「おお、そうか……」って思ったけど(すみません)、いうてマウントとは思わなかったし、大体意味もなくハイブラのカバンについての記述をしたわけじゃなくちゃんと書く理由があるから書いてるやん……と思いました。みんなちゃんと文読んでる?
 書き方に問題があったとはいえ頭ごなしにマウントだと騒ぐのはもうネットの悪いところ丸出しだな〜(笑)って感じ。論点そこじゃないだろ。

 挙句の果てにハイブラのバッグを会場に持っていくのはやめろって意見には盛大に笑った。

 なんのためのバッグだよ!?!?!?

 いや……ちょっとハイブラ持ってた記述程度で騒ぐなんて懐も心もおたくって貧しいんだな……って悲しくなりました。人の振り見て我が振り直せってことで私も気を付けます。

 それと、なんでチケット20枚も持ってるんだってやつね!元ツイの人も煽っててちょっと笑ったけど、テニス通ってないお茶の間のみんなに教えてあげるね!
 この事件が起きた時点で残りの公演数は22公演!全通しようと思ったら福岡の時点で20枚以上持っててもおかしくないんだよ!



 ごちゃごちゃ書いたけど、この件でチケットだけは必要分だけ持っていくとか肌身離さず持ち歩かなきゃいけないよね、というおたくの防犯意識が上がるきっかけにはなったんじゃないかなあと思います。最悪お金はなんとかなるけど失ったチケは戻ってこない……覆水盆に返らず……。
 私もいつ取引することになってもいいように取引用のチケットはいつも持ち歩くカバンに入れっぱなしなので、気を付けよう……と思いました。

 あと、事情をきちんと把握してない外野が適当に論点が外れたことで騒ぎ立てるのもよくないな!って思いました!
 こちらも併せて気を付けたいですね。


 何がともあれ、当事者の方は愛知公演で犯人及び盗まれたチケットが見つかることをお祈りします。

*1:この概念が分からない人はここについて突っ込まないでほしい。でも同じ公演をテニス半通以上くらいの数見たことがある人はこの概念が分かるんじゃないかと思う……ので、これが分からない人は在宅なんだろうなって思う。違ったら申し訳ない。

厨プレについての私見


 無事、推しへのクリスマスプレゼントが決まりました。ぱちぱち。おめでとう私。

 まあ私としてはまあ高めというか、ちゃんと良いブランドのものを選んだつもりではいるけどどうなのかな。みんな予算どれくらいであげるんだろう。
 こういうのってめちゃくちゃ気になるし同厨に「いくらでクリスマスプレゼント買った!?」って聞いて回りたいところだけど、確実に某掲示板等で叩かれる気がするのでしません。(そうじゃなくても普通聞かない)



 さて、クリスマスプレゼントを決めたこのタイミングでTwitter推しへのプレゼントや対応?に対する意見感想を見た。

 まあざっくり言えば推しへのプレゼントで迷惑になりそうなもの、ただの好意の押し付けとなるものを贈らないようにするべきだ、という意見で、その主張は概ね私も同意する。
 私があげたいだけで向こうがどうとかは知るか!であげても迷惑だろうし。私があげたくてあげたいを100%実現させると多分熊のぬいぐるみとかあげ始める。これ抱いて写真撮れとか言う(救いようがない)。



 でも、多少は好意の押し付けをしてもいいんじゃないかな、と思う。プレゼントなんてそもそも好意の押し付けの行為そのものだし。

 なんなら俳優へのプレってほとんど好意の押し付けどころか自己満足だもんね!
 これ絶対推しに似合うし、推しのこと好きすぎて何も考えずに買ってしまった!アッハッハ!が楽しいんだよね。推しへのプレゼントを買うのって。
 もちろん着てくれたらめちゃくちゃ嬉しいし買ったらもうあげるしかないから(それはそう)必然的にプレボに突っ込むわけだけど。*1



 好意の押し付けと自己満足がごっちゃになってるのが厨プレになるわけだけど、それが俳優の負担になるとかならないとか、そんなのぶっちゃけ分からなくない?あからさまにいらねーだろ!ってものを除いて。
 色紙とか色紙とか色紙とか。色紙に関してはTwitterで色紙の写メあげてる某俳優見てめちゃくちゃ悲しい気持ちになるもんね。これ全部家に持って帰らなきゃいけないのかあ……みたいな…………。

 そりゃあ営業しなきゃいけないのは大変だなあって思うし推しがあげた服着てるの見ると「営業お疲れ様で〜す!」って思うけど(最低)、俳優なんて人気商売だからね。自分のおたくに媚びてナンボの世界だよ。
 そんな営業しなくてもいいくらい才能があるとかならいいかもしれないけど、そんな人よっっっっぽどじゃない限りいないのも事実だし。
 俳優業に専念するために営業させる負担を減らしたいとか、そんなこと言ってられないよ本当に。
 俳優の仕事も営業もきちんとできて、事務所や仕事に関しての運が良くてやっと……人気が出るんだよ…………。人気が出れば良い仕事が来る確率も上がるしね。



 営業の話に話題が逸れたけど。
 営業させなくても済むというか、使ってるか使ってないかを確認出来ないプレを贈って「プレゼントありがとうございます!」の一文だけ見て嬉しいってなって(これも営業だけどな!)、ずっと推しくんのことが好き♡で済む話なら簡単なんだよね。簡単なんだよ!!!

 そもそもこの手のオタク、自分が見立てた絶対似合う服を着てる推し、見たくないのかな。もしゴミプレになったら……って恐怖が勝つのかな。いやそれも分かるけど。



 あとプレゼント出すくらいならチケット増やすはそりゃ〜〜〜当たり前の話で、まだ都合がついて行ける日があるならプレ買う前に通うし、チケットを買ってもなおお金があるから買うのがプレだろ!ってのは大前提すぎる話だ。何を言ってるんだ。大前提の話をされても困る。



 まあ何が言いたいかって、若手も若手ならプレで私服成り立ってるだろ!って人も一定数いると思うし服のプレは必要だねってことです。
 いや〜そりゃあ大人気2.5次元舞台にご出演なさっていておたくも山ほどいて厨プレももりもり!な俳優様でしたら消耗品のがいいかもしれませんけど。それは知らん。

 というかそういう俳優の厨が実は大したことない茶の間のくせにデカい声で愚痴垢とかで高額プレする厨とかのこと僻んで叩いてるんじゃねーの!?



 以上、長々と書いたけどプレに関する個人的な意見でした。
 そんなことより早くクリスマスになってプレボにプレ入れたいです。

*1:買ったのに入れなかったという案件も無きにしも非ずだけど、それは事情が複雑な場合が多いから除く

お知らせ

  

若手俳優のブログみたいなタイトルを付けてしまった(?)



とりあえず、まだ本当に降りるのかは決めかねているので今思っていることを書きます。



今の推しから一旦降りようと思っています。



こういうジャニーズで言うところの担降りブログ的なやつを書くのっていや勝手に降りたきゃ降りろやって感じですけど、誰かに報告するというよりも書くことで整理しようかな、という意味合いが強いです。特に私は普段考えを文字に起こさず脳内で処理してしまって、結果よく分からなくなって投げ出してしまうことが多いので。



なんで降りようかと思っているのかというと、端的に言えば環境の変化です。


私が好きになったとき、まあ某テニスのときだったんですけど、そのときの推しは人気といえば人気だったけど今ほどファンも多くはなくて、言ってみればミュキャス内での人気は高いけど爆発的に人気かと言えばそこまで、といった印象でした。
いうて卒業前のミュキャスってそういう人が多いんですけどね。

Twitterのフォロワー数も二万そこらでしたし、当時周りの俳優厨からはあそこのオタクは怖いと噂されていた以外は(?)よくいる若手俳優の1人の範疇に収まる程度だったと記憶しています。


テニスを卒業した後、ファンが増えて環境が変わったな、と明確に感じたのがミュージカル刀剣乱舞に出演が決まった以降です。

Twitterのフォロワー数は1週間で1000人ペースで増え*1、チケットも前より取りづらくなり、推しに関するツイートもよく見かけるようになりました。


私はいつだったかのイベントの時に言っていた推しの「どうせやるなら2.5次元界でトップになる」という発言に対して、心の底から頑張って欲しいと思っていました。
でも、刀がきっかけで増えたファンは、もう何言ってるんだって感じですけど、解釈違いっていうか、馬が合わなさそうというか。
ぶっちゃけた話、「演じてる役と本人は違うから!!!推しはこんなに可愛くない!!!!!💢💢💢💢💢」ってずっとキレてました。いやどっちが酷いねんって感じですね。


そんな新規のファンに対抗心を無駄に燃やして、出来る範囲内で現場に通っていました、が、正直義務感に苛まれていたような気がします。

「推しがいるから通わなきゃ」っていうのが原動で通うのって正直辛いところがあります。
今回の舞台個人的にはそんなに面白くないとか、脚本家と趣味が合わねーな!とかまあまああるもんです。人間だから感性が合わないこともあるのは仕方ない。
でも、それを我慢して通って、逆に本当に回数行きたい現場、私の場合だとそれが推しを好きになったきっかけでもあるテニスなんですけど、それを減らすのってどうなのかな、と最近思い始めました。
無理な同厨がたくさんいる現場に無理して通って、行きたい舞台には行けないって、結局今日も推しを見れて嬉しい以上にストレスが溜まることなんじゃないかなって。


さらに言えば、そもそも刀のトライアル辺りで降りておくべきだったのかな、と思います。

刀が始まる前に推しのお友達*2のアイドルグループが解散して、その直後ぐらいに刀剣男士がアイドルのように歌って踊ります、という発表がありました。
そんなことは刀きっかけで推しを知った人にとってはどうでもいいことかもしれませんが、やっぱり私にとってはショックで。
新しいことをするために切り捨てなきゃいけないことがあるっていうのは分かっています。
いつか帰ってくるかもしれません、しかし保証はされていない。
でもなによりしんどかったのは、終わらせたけど代わりにこのコンテンツでアイドルやるから許してね、みたいな感じがしてしまったことです。
制作側にそんな意図はなくても、タイミングが最高に悪いな、と思いました。

もちろん刀のライブパートが悪いとは少しも思いません。むしろ本編の内容は完全に覚えてしまったが故にライブパートのために公演通っていたと言っても過言ではないです。
でも、それとこれとは別問題なんですよね。

加えて、後からドルステをやっていたことを知った新規のファンの人が推しがとても大切にしていたドルステならではのお友達設定を蔑ろにしがちだったのも、ああ、もう過去のモノにされてしまったのかな、とモヤモヤしてしまって。



そんなこんなで、1年くらい前から割と何回も「無理なことが多すぎる」ってツイートしていたんですけど(なんなら今「むり」まで打ったら予測変換で全部出てきた。どんだけ打っているんだ)、もうそろそろ耐えきれなくなってきています。


明確なきっかけがあったわけじゃないけど、強いて言うなら今度の推しイベ関連が割とでかいかな、と思います。
積まなきゃ当たらない方式が嫌なのもまああるけど、何より、先着のイベのチケが整理番号に関わらず5万そこらで転売されているのを見て、ああ、もうここまで来てしまったんだな、と実感してしまいました。
今回、私はたまたま運良くバースデーイベも当たって、先着のイベもほとんど行けることになったけど、逆に全部外れたら一回入るためだけに5万も出さなきゃいけない。


いや、嵐のチケットかよ!!!!!!!!


今までだったら、完全に心が荒んでいる地獄の底に住むオタクだったのでチケ取れなくて5万出すオタクお疲れ!とかもう最低の極みみたいなことを考えていたんですけど、最早5万あれば何が出来るんだろう……って考えるようになってしまいました。
服が沢山買えるね。

妹からは「テニス最前でも3万なのにアホらしい」というお言葉を頂きました。せやな!





長々と書いたけど、ざっくりまとめると

  • 義務感から通うのは精神的にも金銭的にも良くない
  • 私にとって合わないオタクが増えすぎた
  • 私がやってほしい、好きな仕事があまりない

っていうのが理由になります。

あくまで推しが変わってしまったことが原因ではなくて、私がついていけなくなってしまったことが原因です。というか推しは根本的なところは何も変わっていない。強いて言うなら歌と踊りは前よりも確実に上手くなりました。そういうところ大好き(?)


そもそも推しのことを嫌いになったわけじゃないんですよ。元々顔とブログとかTwitterで書く文章と踊りが好きだったけど、それらは一切変わってないし、私もそこの好みは変わっていない。

降りるか降りないかでぐるぐるしてる私だけど、考えれば考えるほど、推しという人間そのものはやっぱり本当に好きで嫌いになることなんて考えられないな、ってところに辿り着くんですよ。
だから悩んでるんだけどね!



でも一旦降りたら無理してイベとか舞台通わなくてもいいのかって考えると一つの手だな、って思うんです。
降りたところでやっぱり気になるからと言って1回くらいならとチケットを取るかもしれない。でも、取れなくても、席が悪くても今までみたいに病まないだけで全然違うのかなと。降りるって宣言してしまうことで精神的負担を減らす的な。

それにもし降りても、推しの仕事でも私がやってほしい!って思う仕事が増えたり、推しの人気が安定してきたらしれっと出戻りするのかもしれません。どうなるかは分からないけどね。


ごちゃごちゃ言ってるけど、来週の推しイベで混沌としたオタクたちの様を見てゲロ吐いて、でもチェキ撮ったりトーク聞いてやばい!!!やっぱり推し最高!!!推せる!!!って言うんだろうな、って思います。

分かるんだよ……何度も言うけど本人のことはどう足掻いても好きなんだからよ……。



とりあえず、今のところは保留で。

推しイベが終わって、次の決まってる仕事のさらに次が決まった辺りでちゃんと決めようかな、と思います。
降りるか降りないかというよりも、どのタイミングというか、何の現場をもって降りるかっていうことだけどね。




最後に。


これで「やっぱり好きすぎて無理でした」って言って降りてすぐに出戻ったら笑ってください!!!!!





  

*1:厄介なオタクなのでずっとフォロワー数を観測していた。こんなキモいオタクがついている推しは本当に可哀想である

*2:一応設定に従うとそうなります